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->シーナ・ アイアンガ-: 選択術 (24:08)
アメリカ流には、全て自分で選択することが当たり前であり、選択肢を狭められたり他人に選択を委ねたりするのは彼らの価値観に合わないことです。
例えば、植物人間の子供の生命維持装置を外すという選択があったとして、自分が後にキツい思いをするとわかっていても自分で選択します。
自由を自分たちの意思で勝ち取った歴史があるアメリカらしい考え方ですね。
しかし外国に目を向けると、選択肢が多いこと、自分で全て選択することは必ずしもその国の価値観に合った考え方ではありません。
ロシアでは、コーラもサイダーもあまり違いを意識しません。
日本の料亭では、客の注文を拒否することがあるそうです。
ある翻訳家は詩を他の言語に翻訳すると意味がなくなるといい、別の翻訳家は詩が更に洗練されると考えます。
この違いを知っていないとグローバル化した世の中で価値観の違いに戸惑うことになるでしょう。
”選択”についてはバリー・シュワルツの講演もおすすめです。
->選択のパラドックスについて
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